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矛盾の壁

今回、合鴨が湖に捨てられていたことで
ひとつの「農法」について突き詰めていきました。



「合鴨」はアヒルとマガモの交配種で飛べません。

飛べないので
無農薬で田んぼを行う農家さんが
「合鴨農法」を選択することがあります。

合鴨たちは雑草を食べてくれて
かつ、そのフンが稲の栄養にもなるようです。

※ただし、合鴨農法では幼鳥しかダメなんだそうです。
大人になった合鴨は稲さえも食べてしまうようなので
来年も同じ合鴨で、ということが出来ず
毎年、幼鳥で行わなくてはならないそうです。

私がその「合鴨農法」を知ったのは佐久に来た当初
7・8年前でした。

近くで合鴨農法を実践している農家さんが
田んぼが終わると合鴨を捨てている、という話を聞き
ショックを受けたことを覚えています。

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ある日、信毎に「小学校で合鴨農法実践」という記事。
田んぼが終わったら合鴨をどうするか?
それを子供らで真剣に話し合って「感謝して戴く」というものでした。

その記事を見た私は単純に
「感謝の心が培われるひとつの方法かもしれない」と
なんの違和感もなく通り過ぎていました。

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そもそも、飛べない合鴨を湖に放した人は
どういうつもりでそうしたのか。

飛べないことでケモノの餌食となり
運良く生き延びたとしても
湖は凍り、当然、凍死します。

もし「自由にしてあげる」なんて気持ちだったとしたら
アサハカです。

この数日、いろいろな方の意見を垣間見て
さらに立ち止まって考えることとなります。

私は家族みんなで手を合わせ感謝して戴くのなら
「食べる」という選択が悪いこととは思っていません。

でも。今回、初めて自分に置き換えてみました。

自分が農家で「昨日まで田んぼを巡回し手伝ってくれた
合鴨を果たして「感謝して食べる」ことができるのか。と。

息子に聞きました。
「俺は食べない。捨てない。飼うよ。」

夫に聞きました。
「仕事は終わり。ありがとう。戴きます、とは食べられないね。
捨てるなんてのは言語道断。飼うだろう。」

でも。そんな私たちが合鴨農法を続けていけば
毎年毎年、飼う合鴨が増え続けていきます。
合鴨の寿命は20年ほどと言われています。
下手したら私たちの方が先に逝ってしまうかもしれない。

私たち家族が出した答えは
「合鴨農法をやりだしたとしても
きっと2年目から(もしくは家で合鴨を飼える範囲を超えたら)
この農法を選択しなくなるだろう。」

実際。私たちは「農家」ではありません。
たった1枚の田んぼでさえ雑草対策は大変だと聞きます。

食べるため、生きるため
何枚も田んぼを持っていたら
その大変さなど計り知れません。

そして、私は日々、スーパーで買った鶏肉を
当たり前のように料理して食べています。

なので、この私たちが出した答えは
矛盾もあり、説得力さえありませんが

「自分の生活を手伝ってくれた合鴨だとすれば
食べない(食べられない)」

今は・・・ただそう思います。
数年後、また家族で話してみたいです。

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小学校で「合鴨農法」を実施することについて。

「飼う」ことが不可能だった学校の場合。
捨てるか食べるか、業者に渡す(結果、食用)しか
ありません。

「食べる」という選択を「おそろしい」と感じる方に
直面しました。

それはきっと「恩をアダで返す」と受け止めたから
なんだと思います。

他に食べるものがたくさんあるこの世の中
教育の場で敢えて「合鴨農法」を実践し
「感謝して戴く」ことに
疑問を感じる、といった意見でした。

中には「そんな残酷な場面を子供に見せたくない」という
親御さんもいるのかもしれません。

でもそうやって私たちの食卓にお肉が上がってくるのも
現実で、「知らないで済めばいい」というのは
何か違う気がします。


私は「学校」という現場が
選択肢の場であって欲しいと思っています。

多数決で「食べる」ことになったとしても
心底、食べたくない子供もいるでしょう。
食べない子や学校を休む子もいるかもしれません。

「捨てる」選択をしないで
自分たちの責任で「食べよう」と決意する子供もいるでしょう。

普段、何気なく食べているお肉が
キレイにスーパーに並んでいるのとは全く違う形で
目の前にある、その現実を見て
「食」に対する気持ちが変わる子供も出てくるかもしれません。

逆に、もしかしたら
それを機にお肉を食べることすら出来なくなることも
あるのかもしれません。

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学校という枠の中では「多数決」が使われます。
なので自分の意思が通らないことも多々。

そういう観点では
学校で「合鴨農法」を行う場合
初めから子供たちに重々に話し合いの場が
あればいいな、と思います。

導入だけしておいて選択させる、のでなく
導入する前にいろいろな意見を出し合う機会をつくり
子供だからと、軽く進ませず
ひとりひとりの先生の意見もひとつの参考にさせて
悩み考えさせる授業に。

全員が納得して始められる稲作。

出来上がった「お米」の大切さに加え
さらに深い想いが湧き出るんじゃないか、と感じます。

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私の周りの大人で子供の頃から
体がお肉を受け付けない人もいます。

動物性のものを使わないマクロビ
乳製品もハチミツも摂らない革製品も不要主義のビーガン

世の中にはたくさんの思考があります。

誰にも迷惑をかけず自分が選択してきた道を
貫くなら、それでいいんじゃないか、と思っています。

誰かに強要したり
「それは間違っている!」と言い放ったり否定すること
それを、私はいちばんおそろしく感じます。

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今回のように
日々の暮らしの中、幾度となく矛盾にぶつかります。

息子が小さな頃、よく言いました。
「蚊は殺してもいいの?血を吸うから?
ハチは?刺すから?カメムシは?臭いから?」

こんな過去もありました。→◇

その度ごとに、ひとつひとつ
答えを見つけては息子に伝えていくのだけど
「正確な答えではない」ことを前置きに

ひとりの人間の考えとして
「母ちゃんはこう想う」と話しているそのそばから
心の中の私がまた問いかけてくることもあって・・・・・・

きっと人は、死ぬその時まで
たくさんの矛盾と戦っていくのだろうな。
by soronoki | 2013-10-20 21:07 | * つぶやき

長野県佐久市


by soronoki