校長講話と井出ようせい氏に想う

長い話になります。




息子の小学校で校長先生がある日言いました。

「お友達の名前を呼び捨てにしてはダメ。
それぞれみなさんの親がつけてくれた名前を大切にしなくては
いけません。
今日から「~君」「~さん」と呼びましょう」

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昨日まですごく仲良しで「ユウマ!」と呼んでいた友達のことを
夕飯時に息子が
「今日はユウマ君がね」と言う。

な?なんで今日は「君」がついているんだ?と聞くと
校長講話の説明が始まった。

呼び捨てするしないは
育てた親の教育、ちいさな頃からの環境が影響するので
賛否両論がある。

私は自分の学生時代
小学校~高校まで私の在籍した学校のほとんどの先生は
こどもの名前を呼び捨てだった。それに対しての不快感は一度もない。

じつは私自身が、息子の友達のことを
自分の子供のように呼び捨てにして
同じように叱り、同じように褒めている。

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息子の通う水泳教室のコーチは
彼を呼び捨てる。

「takuya!やったな!新記録行ったぞ!」
そこでも私には違和感はない。
むしろ、「サービス業」を感じさせない、「身内」感さえある。

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これまで呼び捨てだった友達が急に
「takuya!」から「takuya君!」となったことに
よそよそしさを感じてしまった。

TPO ※Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)を
わきまえてその場その場での使い方が出来れば
私はそれでいいと思っている。

クラスのお母さんの中には娘さんが
「学校から帰ると呼び捨てにして、
先生の前ではちゃんと[さん付け]をしている」と話していた。
なぜか?って?
「先生に怒られるから」と。

それでは校長先生の伝えたい部分は伝わっていない。

要領よく使い分けをしている例だと思う。
これは本当の意味でのTPOの分け方じゃない。

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この前、友達と会って今回のことを話した。
彼女は歯に絹着せぬ意見をくれる貴重な存在。

ありがたい。

私は今回の件で
「呼び捨てするか、しないかは自分で決めたらいい」と
息子に言った、と話した。

母さんは呼び捨てにしたからといって
友達の名前を大切にしていないとは
思わないから、自分のいいと思った呼び方にしなさい、と。

彼女の考えは
「学校という枠の中で校長先生はいちばん上の長で
その長の意見に従うのが、社会のルールの学び」

だから息子には選択肢を与えるのでなく
「校長先生の発言を守った方がいい」と言ってあげることが
いいんじゃないか?と。

ものすごく考える。
大人になって社会に出た時に
今のこの小さな出来事が軸になるのかもしれない。

でも、校長講話の後、それぞれの教師が
「規則」として強要するのは
どこか「右向け右」的要素があるような気も否めないでいる。

本当に伝えたい部分はどこなのか。
本当に大事なことは何なのか。

そこを子供と向き合わずして
不快な怒り方をする教師もいる。

もちろん、親もこどもの前で
校長講話そのものを完全否定していればそれは論外だ。

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みんなの党、井出ようせい氏が党首の意見に習わず
反対、とした「秘密保護法」

長いものに巻かれる政治界で
自分の信念を通し現す。彼の姿勢を素晴らしく感じた。

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ただ、その件と結びつけるには違いが大き過ぎる。
なぜって、校長講話は「間違っている」とは言い難い内容だからだ。


夫が私に言う。
「たとえば会社の社長が納期を守るためなら
どんな手抜きをしたっていい!仕事を早くやれ!っと言ったとする。

そこで社員である自分が[それが社会の掟]と思って従うのでなく
そこに疑問を持つ人間で息子にはいて欲しい」と。
同感だった。



「出る杭」として打たれるなら仕方がない。

どこに自分の信念を置くのか・・・
自分で考え、そして切り拓いて欲しい。
「拓く」・・・・・・・。息子につけた名前の意味がそこにある。

そこを感じてくれるのなら
私は息子の名を呼び捨てられたって構わない。
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by soronoki | 2013-12-09 00:29 | * とあるお話

長野県佐久市


by soronoki