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求められてこそ

「世話好き」という言葉は良いイメージだけど

親切とお節介の境界線はとっても曖昧で
受け取る側の印象に関わってくる。

「ありがたい」と思えば「アドバイス」
「不快」に感じたら、それは「指図」となる。

そこを気にもしないで
人と接していると
人間関係がギクシャクすることにも
残念ながら発展してしまう。

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私自身も以前、求めてもいないのに
家族のことを「警告」されたことがある。

悩んでもいなくて
相談さえしてなくて
なのに不安要素を与える警告。

しかも現実味のない、宗教色の。

一気に暗い風が舞い込んだ。
動じないつもりでも
子供のことを言われると
やっぱり母親なので、一時的に影響を受けた。

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生活でも活動の中でも
相手に対してアレコレするのは
全て「求められてこそ」だと思う。

ましてや「こんなにしてあげている」感が
心のどこかに少しでもあるとしたら
それは間違いなく「押し売り」だ。

私は自分にとって大切な人にしか
行動出来ない人間なので
誰かれ構わず何かしてあげたいと
動く人はすごいと思う。

でもそういう人は
無償の気持ち100%が伴っていないと
いつかバランスが崩れて
互いの関係が破綻する。

何かひとつの行動に出た時に
相手の心を読んで

静かに進んだり
少し引いたり、を全く考えずに
行け行け、押せ押せ、ばかりじゃ

きっと相手が疲れてしまって
せっかくの気持ちが
「お節介」に受け止められてしまうだけだ。

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そして。
私は個人的に「損得勘定」を前提にした「繋がり」とやらには
全く興味がありません。

「あの人と繋がっていれば何かとイイよ!紹介するよ!」
「あの人のチカラを借りて、大きな活動にできるよ!」
みたいなお誘いはとても苦手な分野です・・・。
私にとってそれは「お節介」に過ぎません。

自分の目で見て、感じて
自然にゆっくりと繋がっていきたい。

出会いは誰かに用意してもらうのでなく
自分自身で、ご縁で、出逢いたい。

今この時代には反しているのかもしれなくとも。
by soronoki | 2014-04-21 20:54 | * つぶやき

長野県佐久市


by soronoki